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物語

2026年10月25日

1818年、4つの懐中時計が中国へ渡った

文・酒井 俊樹(ボヴェ1822ジャパン)

広州・珠江沿いの十三行

物語の始まりは、スイス・ジュラ山脈の小さな村、フルリエです。18世紀後半、時計師ジャン=フレデリック・ボヴェはこの地で働き、その技を4人の息子たちに伝えました。

19世紀のフルリエ村の通り

ロンドンへ、そして海の向こうへ

1814年、兄弟のうち3人がロンドンへ渡ります。当時のロンドンは世界の時計取引の中心地。兄弟は商社マニアック商会に勤め、時計づくりだけでなく、国際的な商いの力学を学びました。

1818年4月21日、エドゥアールはイギリス沿岸の町ディールを出航し、中国南部の広州へ向かいます。帆船での航海は4か月に及び、8月16日、彼はわずか4つの懐中時計を携えて到着しました。

4つの時計が開いた扉

エドゥアール・ボヴェの肖像

4つの時計はほぼ即座に売れ、その額は現在の価値で約100万スイスフランに相当したといいます。ヨーロッパ最高峰の時計を求める中国の需要の大きさを、エドゥアールは身をもって知ったのです。

この好機を見抜いた兄弟は、1822年にメゾン・ボヴェを創業します。同年5月1日にロンドンで登記され、ロンドン、フルリエ、広州を結ぶ、当時としては驚くほどグローバルな体制が築かれました。

「Bowei」という言葉

ボヴェの懐中時計は、エナメル・ミニアチュール画や精緻なエングレービングで豊かに彩られ、中国の宮廷や貴族に愛されました。その名の音訳「Bowei」は、やがて上質な時計そのものを指す言葉として使われるようになります。

4つの懐中時計から始まった物語は、いまも続いています。

ブティックでお客様にこの話をすると、多くの方が「時計の見え方が変わった」とおっしゃいます。当時の装飾芸術への情熱は、現在のボヴェのタイムピースにもそのまま受け継がれています。歴史の続きは、歴史のページでご覧いただけます。

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